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東区百人町の由来は百人組の組屋敷が移転してきたことから付けられた

この記事には、次のことが書いてあります。

・東区百人町の地名の由来と変遷

・東京にも百人町が3つあった

気になる方は、是非ご覧ください。

東区百人町の地名の由来と変遷

東区百人町の地名の由来

東区百人町の由来は、以下の通りです。

東区百人町の由来
百人組の組屋敷が移転してきたから
慶長16年(1611年)、関東百人組が尾張藩に転じて、徳川家康の家臣である渡邊半蔵百人組になった。
渡部半蔵が率いていた足軽百人の組屋敷は呉服町、矢場町、そして当地へと移転してきたため、地名の由来となった。

足軽:江戸時代には、主に鉄砲などの部隊の兵士
組屋敷:百人組などのグループにまとめて与えられていた屋敷

 

渡邊半蔵のプロフィール
名前 渡邊半蔵守綱(わたなべはんぞうもりつな)
生年 1542年
没年 1620年
出身 三河国額田郡浦部村(現在の岡崎市)
業績 徳川十六神将、江戸幕府旗本、尾張藩付家老、三河国寺部城

 

東区百人町の変遷

東区百人町の変遷は以下の表の通りです。

明治11年 北百人町、南百人町、名古屋村出雲小路が合併して百人町が成立。
明治22年 名古屋市に編入となり、名古屋市百人町になる。
明治41年 東区に編入となり、名古屋市東区百人町になる。

 

東京にも百人町が3つあった

徳川家康が、居場所に困っていた百人組を住まわせるために、命じて作らせた町が百人町です。

かつては、3つの地域に百人町が存在していました。

地域名と現町名、百人組名は以下の通りです。

地域名 現町名 百人組名
青山百人町 東京都港区青山 甲賀組
根来(ねごろ)百人町 東京都新宿区弁天町
東京都新宿区原町一丁目
根来(ねごろ)組
大久保百人町 東京都新宿区百人町 伊賀組

そして、この3つの百人町の由来は以下の通りです。

青山百人町の由来 青山の地名の由来になった青山忠成(あおやまただなり)が、1678年に鉄砲百人組の与力(よりき)騎と同心100人を住まわせたことから名付けられた。
根来(ねごろ)百人町の由来 根来(ねごろ)組は、紀伊の根来寺の僧兵である根来衆に由来する。
根来百人組同心組屋敷があったことから地名になった。
大久保百人町の由来 1602年に、伊賀組の百人がこの地に居を定めたことに由来する。
当時は大久保町だったので、大久保百人大屋敷と言われた。

与力(よりき):大名や有力武将などに従事する下級武士

同心:江戸幕府の下級役人で、藩でも直属の足軽階級の正式名称としている

僧兵:武芸の修練を積んだ戦闘も僧侶

町の統廃合によって、青山百人町と根来百人町が消滅しました。

現在では、大久保百人町が東京都新宿区百人町として残っています。

 

東区百人町の位置図

  • 百人町

都道府県 愛知県
市町村 名古屋市東区
郵便番号 461-0037