豊田市の由来は、
トヨタ自動車によって工業都市へと発展
したことです。
この記事では、
・豊田市の由来がトヨタ自動車であること
・創業者が「トヨダ」なのに「トヨタ」と読む理由
についてお伝えしています。
興味のある方は、是非ご覧ください。
豊田市の由来がトヨタ自動車である2つのポイント

豊田市の由来は、トヨタ自動車です。
なぜ、トヨタ自動車が由来になったかは、以下の2つのポイントがあります。
- 元々の地名が読みづらかった
- 自動車産業の発展
それぞれ見ていきましょう。
元々の地名が読みづらかった
豊田市のもともとの地名は、挙母(ころも)でした。
当時の挙母(ころも)町は、養蚕・繊維業のまちとして栄えていました。
しかし、挙母(ころも)がどうしても読みにくく、長野県の小緒(ころも)と混同されがちでした。
そして、繊維業の需要が減少していき、低迷していきました。
自動車産業の発展
挙母(ころも)町の活気を取り戻すキッカケとなったのが、
新設の豊田自動織機製作所自動車製造部の工場誘致
です。
これが功を奏し、挙母町は自動車産業を中心とした工業都市へと成長していきました。
以下の表の流れで挙母町は、豊田市になりました。
1938年 | 論地ヶ原(現豊田市トヨタ町)にトヨタ自動車工業の挙母工場が完成 |
1951年 | 挙母市として市制を敷く |
1954年 | 工場誘致奨励条例を交付 |
1958年 | 挙母商工会議所から挙母市から豊田市に市名変更する嘆願書が出される |
1959年 | 豊田市へと市名を変更 |
市民の半数は、歴史ある挙母(ころも)という地名に愛着がありました。
市名の改正には反対運動が起こりました。
- 企業城下町であること
- 自動車産業都市としてさらに発展
ということから、市名を変更することができました。
創業者が「トヨダ」なのに「トヨタ」と読む訳

トヨタ自動車の創業者は、豊田(トヨダ)喜一郎氏です。
創業者の苗字は、「トヨダ」と読みますが、なぜ社名は「トヨタ」と読むのでしょうか。
結論から言うと、1936年にトヨタ・マークが制定されたからです。
当初は「トヨダ」だった
トヨタ自動車は、当初ブランド名として「トヨダ」を使っていました。
使用媒体 | 使用例 |
創業当初の商標 | TOYODAエンブレム |
広報誌 | トヨダニュース |
販売店 | 東京トヨダ自動車販売店 |
1936年、販売のサポートとトヨダ車の宣伝を兼ねて、新しい「トヨダマーク」の懸賞募集を行いました。
トヨタ・マークが採用された3つの理由
一般公募を行った結果、全国から2万7000点ものアイディアが集まりました。
その中で採用されたのが、トヨタ・マークです。

出典:トヨタ企業サイト
採用された理由は以下の3つの点です。
- 商業上の効果として濁点が無い方が音の響きが良くクリーンなイメージになる
- トヨタは総画数が8画で「八」は末広がりになるので縁起が良い
- トヨダ(豊田)という人名から離れることにより、個人的企業から社会的存在への発展の意味を含める
このマークは、現在のトヨタ自動車の社章としても使われています。